小雪春 4 —— 鯉伴 嫁取り物語 ——
1
なんの因果で総大将の後を跟けねばならぬのか——鴉天狗は悲しみに咽び泣いていた。
『な、なんと申されました、初代!?』
『何度も言わすな、鴉天狗。鯉伴の後を跟けよ、と言ったのだ』
『それは…何故でございましょうや?いかに初代の仰せとはいえ、総大将の後を跟けるなどと恐れ多い——』
奴良組本家、初代総大将•ぬらりひょんの部屋に呼ばれた鴉天狗は、ぬらりひょんからの思いがけない一言に動揺を隠せないでいた。
事情(わけ)を話して頂きたい、と鴉天狗は奴良組初代総大将•ぬらりひょんに詰め寄る。
『何が恐れ多いものか、父のワシが良いと言っておるのじゃ。構わん構わん。やれ、鴉天狗』
ぬらりひょんはズズズと熱い茶を啜りながら飄々と言ってのけたのであった。
『…しかし…初代…』
『鯉伴に気取られるなよ?良いな?』
最後にチクリと釘まで刺され——そうして今、鴉天狗は大木の影に身を隠している。二代目総大将•奴良鯉伴の後を跟け、そして様子を伺い続けている。
ここは墓地。
鴉天狗の視線の投げる先には二人の男女の姿。奴良組二代目総大将•奴良鯉伴と一人の少女。
——あの少女がワカナ殿か——
「立派なお墓ですね…」
若菜は目の前の墓を見て若菜はうわぁと声を上げた。
二人は奴良家の墓の前に立っていた。
まめに墓参りをするどころか墓の掃除もした記憶が無いと言う鯉伴に、若菜は目を丸くして酷く驚き、ついうっかり『私がお掃除しましょうか?』と言ってしまった。
そして今こうしてここに居る。
「そうかい?親父が見栄張りだからな…」
「また、そんな事…」
お父さんの事悪く言って、若菜は困った様に笑った。
若菜は墓の前にしゃがむと、手を合わせて目を閉じる。そしてゆっくり立ち上がった。
「…それではお掃除させていただきますね」
若菜は墓の周りのいくらかの雑草をむしり始める。その後、固く絞った真新しい白の手拭で墓を拭き始めた。
その一連の動作を鯉伴は煙管を銜えて、眺めていた。そう、ただ眺めていた。
鯉伴は決して若菜を手伝う様な事はしなかった。けれど、それは悪気があっての事では無い。
ただ、この男——奴良鯉伴は。
奴良組総大将である前に、筋金入りの『お坊ちゃん』であった。
人に何かをしてもらう事には慣れているが、人を手伝うという事には慣れていない。
ただ、それだけであった。
悪気などこの男には1ミリグラムも無かった。
——どうだい、お袋、この娘は?親父の夢枕にばっかり立ってねぇで、たまにはオレの夢枕にも立ってくんな。そして聞かせてくんな——
せっせと掃除をする若菜の背中を見やり乍ら、鯉伴は母•珱姫に語りかける。
そんな鯉伴の思惑など露程も知らない若菜は、土誇りにまみれた大きく立派な墓石を拭き乍ら、アレコレと思いを巡らせていた。
最初見た時は気が付かなかったが——。
今こうやって手で触れて気が付いた。目の前の墓石があまりにも古いものだという事に。
先祖代々のものなのだろうか。
『親父が見栄張りだからな…』
先ほど、鯉伴はそう言った。この墓は鯉伴の父が建てたという事らしい。
けれど、それにしてはこの墓はあまりにも古すぎる。自分の聞き間違いだったのだろうか。
「このお墓…あなたのお父さんが建てたんでしたよね?」
若菜は墓石を手で撫で乍ら問うた。
「あぁ、そうだぜ。お袋の為に建てた墓だ」
それがどうかしたのかい?と逆に問う鯉伴に、若菜は首を捻って鯉伴に笑顔を向ける。
「ううん、なんでもない」
若菜は小さく答えて、また墓に向き直り手を動かし始めた。
——古く見えるだけ、なのかしら——
そう言えば。
以前、鯉伴は自分の事をヤクザだと言った。先祖代々ヤクザなのだろうか。だとすればきっと有名な組なのだろう。
ここに眠る鯉伴の母という人は、一体どんな人だったのだろう。映画なんかで見る様な『姐さん』だったのだろうか。
解らない事だらけで、若菜の想像は無駄に膨らむばかりだった。
それから一時間程が経った頃、若菜はくるりと振り返り微笑んだ。
「こんなでどうかしら?随分綺麗になったと思うけど…」
「…あぁ…上出来だ」
ありがとう、と鯉伴は微笑み返す。
「どういたしまして。けど、今度からはあなたがやるのよ?」
「オレがか?なんで?」
「あなたのお母さんでしょ、ここに眠ってるの。あなたがしなくて誰がするの?」
ダメよ、と若菜は腰に手を当てて顔をしかめる。
が。
「いやぁ…若菜にやってもらった方が、お袋喜んでる様な気がするな…」
悪びれた様子も無く鯉伴はニヤリと笑ってみせた。
「んまぁ!」
もう、しょうがないわね、と若菜は呆れ顔で大きく息を付いたのだった。
鯉伴が墓の前にしゃがみ手を合わせると、若菜もその隣にちょこんとしゃがみ手を合わせて目を閉じた。
2
まるで、仲の良い夫婦の様だ。
そんな二人の背中を少し離れた木の影から鴉天狗は息を呑んで見やっていた。
——なんと、なんと、なんとぉ!いつの間に総大将!!——
これはこうしてはおられない。
あのワカナ——というらしい——娘が我が奴良家の墓の掃除をしていた。それを総大将はまんざらではない表情で眺めていた。
墓の掃除をさせるなどと。
既に出来上がっているのではないか、あの娘と。
いつ子供が出来てもおかしくない間柄なのではないか、あの娘と。
もしかしたらもう出来ているのかも知れない。
総大将は狐の呪いの所為で妖との間に子は成せぬ。が、しかし人との間には子は成せる。
あの娘はどう見ても人間である。
奴良鯉伴に子が出来るという事は、それは奴良鯉伴個人の問題だけでは済まず、奴良組本家の重大な問題である。
そこまで考えて鴉天狗はハッと我にかえる。
——いや、今はこの様な事を拙者がアレコレと詮索している場合ではない。初代の言いつけを守り、事実を速やかに報告せねば。それが拙者の役目!——
詮索するのはその後だ、と思いなおし奴良家の墓に手を合わせる二人の背中に視線を戻そうとした、その刹那。
何かが目前に飛び込んで来るのが見えた。
あれは!?——鴉天狗は目を見張った。
パコーン!
何かが鴉天狗の眉間に激突した。
「うぉっ!」
もんどり打って倒れ伏す鴉天狗。
「…うぅっ…あんまりでございます…総大将…」
鴉天狗は眉間を押さえつつ小さく嘆いた。
倒れ伏した鴉天狗の傍には——一本の煙管が落ちていた。
「!?どうしたの!?なんで煙管を——」
投げたの?——若菜は両の手を口元に当てて目を丸くしていた。
いきなり鯉伴が手にしていた煙管を真後ろへビュッと投げたのだ。
その時『ビュッ!』と音がした。
若菜はいきなりの鯉伴の行動にもビックリしたが、何よりその時聞こえた『ビュッ!』という音にビックリした。
「え…あ…なに…。…禁煙…しようかな、と思って。たった今そう思って…」
ぎこちなく笑う鯉伴は明らかに滑稽であった。
「…だからって…いきなり投げなくても…。誰かに当たったらどうするの?」
危ないわ、と眉をひそめる若菜。
誰かに当たったらも何も、当てる為に投げたのだ。出歯亀な鴉天狗に。
「…いいんだ。アレはもう要らねぇ…」
一連の報告を終えた鴉天狗は腫上がった額を摩り乍ら、トボトボと奴良組本家の廊下を歩いていた。
初代には『鯉伴に気取られるなよ?』と言われたが、そんな事はどだい無理なのである。こうなる事は解っていた。
「トホホ…今日は厄日であったな…」
こんな日はさっさと風呂にでも入って寝るに限る、鴉天狗は自室へ向かうべく足を速めた。
「よぅ、鴉天狗」
いきなり声がして、とてつもない畏がそこらじゅうに溢れかえる。ピクリと身体を震わせて、声のする方に首を捻る鴉天狗。
「…そ…総大将…」
見上げれば不機嫌マックスな二代目総大将の顔があった。
「面白ぇトコにタンコブ作ってんじゃねぇーか。どうしたい?」
大丈夫かい?——と鯉伴は鴉天狗の腫上がった眉間に軽くデコピンを一発お見舞いした。
鴉天狗の小さな身体は軽々と吹っ飛ばされてしまった。
「どわぁぁっ!お許し下さい、総大将〜」
鴉天狗は額を両の手で押さえ涙目で訴える。
鴉天狗の訴えには答えず、鯉伴はスッと手を差し出した。
「…出しな」
「…いたた…。…何を、でございましょうや?」
「シメるぞ、コラ」
さっさと出しやがれ、と鯉伴は唸った。
鴉天狗はおずおずと懐から一本の煙管を取り出し鯉伴に差し出した。
「も、申し訳ございませんっ。し、しかし乍ら総大将!拙者とて好きでこの様な——」
「ほぅ…本意じゃねぇってんだ?」
「そうでございますとも!何故、拙者が総大将の後を跟けねばならんのでしょう!」
「なら、なんで跟けてたんだい?」
鯉伴はニヤリと笑う。その笑みの恐ろしい事よ。鴉天狗は震え上がる。しかし、初代の差し金などと言えよう筈も無く——。
「お許し下さい〜」
もうしません、と鴉天狗は懇願した。
「親父に言っとけ、下らねぇコトすんじゃねぇってな!」
『親父に言っとけ』と言われても——その様な事、鴉天狗の口から初代総大将•ぬらりひょんに言える筈もなく。
ただただ途方に暮れる鴉天狗であった。
つづく